無趣味人

無趣味人

どうすれば小山田圭吾氏を辞任させずに済んだか考えてみる

東京2020大会(2021年開催)で、開会式の楽曲担当だった小山田圭吾氏が、過去のいじめ問題を取り上げられた末に辞任した。開会式直前のこのタイミングでの辞任は、東京湾汚水問題、灼熱地獄問題やコロナ禍などにより、ただでさえしっちゃかめっちゃかになっていそうな主催者にとっては最悪の事態であり、できれば避けたかったことだろう。しかし、告発された小山田氏の所業は、オリンピックやパラリンピックの精神に対して到底容認できるものではなく、何らかのけじめが無い限り、どのみち続投は不可能だった(実際、Twitterを通じた謝罪文程度では収まらなかった)。

もう辞任してしまったので今更なにを言っても仕方が無いかも知れないが、本稿では敢えて、小山田氏を辞任させずに事態の収集を図る方法を検討してみたいと思う。今後の危機管理の参考になれば幸いである。

責任の所在と対応方針

大会主催者として対応可能な責任の所在としては、小山田氏本人に属するものと、大会側の任命責任がある(それ以外、例えば、小山田氏のいじめ自慢インタビューを掲載した雑誌や、当時の学校関係者などは、ここでは考慮しない)。小山田氏の続投を前提に、私は次のような対応策を考えついた。

  • 大会側: 素早い問題意識の表明、および任命責任者の辞任または更迭
  • 小山田氏: 著作権および著作者人格権の放棄

それぞれ、以下で詳しく説明したい。

大会主催者側のとるべきだった対応

この問題が世間に広く知れ渡った当初、主催者側は「今の小山田氏は問題無い」として、続投を図ろうとした。しかしこれは、(障害者に対する)いじめ、という問題を軽視していると世間に解釈されたように思う。それよりは、「問題は深く受けとめているが、小山田氏の後任を探す時間が無いので、続投させつつ何らかの対応をしたい」と内情を暴露して時間稼ぎした方がまだ心象が良かったと思う。その上で、それなりのポジションの人間が責任をとって辞めるほうが、小山田氏という、実務上の影響が大きい人間が辞めるより、現場のスケジュール等へのダメージが少なかっただろう。

「小山田氏の所業は何年も前からネットに暴露されていたのだから、事前に察知・回避できたのでは?」という意見もあると思う。実際、私もこの件は事前に知っていたので(攻殻機動隊ARISEのとき、少し話題だった)、当初はそう思っていた。しかし、冷静に考えると、この話題が広く知られていたのは2chやはてなブックマーク等ネットの中の一部界隈であり、主催者にたまたまそういう事情に詳しい人間がいないかぎり、厳しかっただろう。それよりは、何か不祥事があったとき、プロジェクトを止めないために誰の首を飛ばすのか、を予め考えておくほうが、より建設的と言えるかも知れない。

小山田氏本人のとるべきだった対応

告発された(と言うより、小山田氏自身が自慢していた)行為は、いじめと言っても明らかに刑事事件に相当するものだったようだ。したがって、もし過去に遡って立件できるなら、法廷の裁きを受けるのが最も良い責任の取りかただろう。

しかし、どうもそれは不可能なようなので、何らかの方法で自らを罰するしか責任の取りようは無い。現実に起こっていることを見るに、謝罪では済まなかった。報酬を受けとらないということも考えられるが、そもそもオリンピックのような「名誉ある」仕事に対しては、報酬が低く設定されているか、無償であることもあり、その場合責任を果たしたとは見なされないだろう。また、何らかの寄付や奉仕活動というのも、被害者当人やそれに近い思いのある人々の感情を逆撫でするだけだろう。

ではどうするべきだったか。私の案では、開会式で使用される小山田氏作曲の楽曲について、著作権の放棄および著作者人格権の不行使を表明すべきだと思う(厳密に言うと、著作者人格権は放棄できないようだ)。つまり、小山田氏が開会式用に作った曲に関しては、いかように扱われても文句を言わない、という宣言である。

まず、これによって、小山田氏は「オリンピック・パラリンピックの開会式を担当した」という名誉を失う。著作者の氏名をクレジットしてもらう権利を失うので、例えばテレビ中継などでは、小山田氏の名前の代わりに「これはパブリックドメインの楽曲です」という実況になるだろう。

また、小山田氏の楽曲を開会式で使用されれば、いじめ問題をネタにした、目もあてられないような下品な動画がYouTubeやニコニコ動画にほぼ確実にアップされる。当然これは著作権ならびに著作者人格権の侵害であり、通常であれば小山田氏は動画サイトなどに異議を申し立てることができるが、その権利を放棄すれば、この一件に関して自ら(ネット上での)いじめを受け入れる、という意思表示にはなる。小山田氏の行ったいじめとは別種のものではあるが、クリエイターにとって自作を傷つけられることは身を切られるに等しい痛みを伴うはずであり(もしそうでないなら、クリエイターなど止めてしまえ)、けじめとして一定の示しはつくのではなかろうか。

ただ、この対応は意図が直感的に分かりやすいとは言えないため、実行する場合は本人の口からその旨説明するべきだとは思う(黙ってやっても、何の制裁にもならない)。また、私は法律の専門家でも、大会の当事者でもないので、この対応を実行したときの弊害、例えば著作隣接権がどうなるのかなどといったことは検討できていない。しかし、今のところ私の観測範囲では、「辞めずに責任を取る」方法は他に提案されていなかったと思う。

おわりに

いかがだっただろうか。後半はなんだか漫画「ONE OUTS」で語られた責任論のようになってしまった。しかし、不祥事に際して「辞める」「謝る」「無視する」以外の選択肢はもっと検討されるべきだと思う。また、こういったリスク管理を専門とする学問もおそらく存在すると思うので、機会があればそういった分野の本なども読んでみたい。